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原爆体験記「青空」

原爆体験記「青空」
 
原爆体験記「青空」 小峰德美
被爆地 矢の平町  当時:13歳
 
 二度とこんな思いはしたくない
                                       
私は当時矢の平に住んでいた。13歳で高等科1年であった。長崎駅の機関助手の見習いで勤めていた。8月9日は勤めに行くため、7時半頃電車に新中川町から乗り、中島川あたりで警戒警報がなった。すぐに電車から降り、矢の平に急いで帰った。11時2分頃は、自宅の炊事場でかぼちゃを炊いていた。突然爆風が襲い、トタンの屋根が落ち、タンスや障子が倒れ、部屋の中はススが舞った。両親は、畳の下に芋を収納する一坪程のスペースに避難したが、私は以前よりB29が飛んでいるのを良く見ており、あまり恐ろしいとは思わず、そのままかぼちゃを炊く火の番を続けていた。私、両親共にケガがなかったのが幸いだった。
その日の午後、瓊浦のグランドに行き街を見ると、江戸町方面は焼け野原だった。その後、伊良林小学校の講堂に行くと、死傷者を運んでおり、亡くなった方は運動場で枕木を積み重ね火葬し、負傷者の方は手当てをしていたが、非常に苦しんでいた。私にとって始めての経験であり、何が何だかわからず、とても恐ろしい光景であった。
夕方、矢の平に戻る際も火傷を負った兵隊さんともすれ違った。その後も食べ物は非常に少なく、もちろん米は一粒もなく、かぼちゃやじゃがいもを食べていたが、とてもひもじい思いをした。
終戦後は缶詰、コッペンパン、豆等の配給があった。私は進駐軍の奉仕に行き、一日十円とカンパン二枚の報酬をもらっていた。戦争中は食料もなく大変苦しい思いをした。二度とこんな思いはしたくない。ずっと平和であって欲しい。
                                     
 
                                            聞き取り職員 平山武英
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