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原爆体験記「青空」

原爆体験記「青空」
 
原爆体験記「青空」岡田恵美子
被爆地 小ヶ倉町  当時:13歳
 
被爆したのは私が県立高等女学校1年生の13歳の時でした。
諏訪町から長崎駅を通りみんなで歩いて帰っている途中、八千代町辺りでピカッと光り、生暖かい風が吹き「あら、なんやろう、この風は?」と思っていると、瓦のようなものが飛んできて肘に当たり怪我をしました。
浜口町の実家から、祖父母と2つ上の姉と一緒に戸町に疎開しており帰宅中の出来事でした。怖くて伏せていましたが、ふと顔を上げるとモクモクと煙があがり日が上がっているのが見えました。家路を急ぐ途中、姉の同級生に会いました。その方から姉がいた兵器工場から日の手が上がりどうなっているかわからないと聞かされました。姉は学徒動員で兵器工場へ行っていたのです。私は姉が帰ってくるかもしれないと家で待っていましたがその日のうちに祖父母は姉の着替えを持ちリヤカーを引きながら探しに出かけました。しかし、道路が熱で歪み熱く歩ける状態ではなかったので長崎駅近くまでしか行けなかったと言っていました。その日、姉は見つからず祖母と防空壕で過ごしました。私は奥に、祖母は入口近くで寝ていた所制服姿の姉が立っていました。祖母と同時に飛び起き「お姉ちゃんが帰って来た」「ハツヨが帰って来た」と喜んだのもつかの間。その姿は直ぐに消えていました。今思えば魂が帰って来て別れを言いに来たのだろうと思いました。
次の日から幾日となく祖父母と一緒に姉の遺体を探しました。市民病院に名前があれば行き、小長井にあると聞けば行ったりし探し続けましたが人違いばかりで見つかりませんでした。新興前小学校や勝山小学校の運動場では沢山の遺体が焼かれていましたがそこにも姉はいませんでした。遺体が焼かれる光景は何とも言い表す事の出来ないものでした。姉と同級生のお兄さんが、怪我をしてやっとの思いで帰って来たと聞いたので姉の事がわからないかと尋ねてみましたが、首を横に振るだけでした。お兄さんの体は焼け爛れ傷にうじ虫がわいていました。姉に出来なかった思いから介抱させてほしいとお願いし、うじ虫を1匹づつ取り、水を欲しいと懇願されても水は飲めない為、湿らせてあげました。数日後そのお兄さんは帰らぬ人となってしまいました。
何日か経った頃でしょうか。姉が通っていた兵器工場を祖母と一緒に見せてもらう事ができ、「この辺にいらっしゃったようです」と言われた場所の周辺を捜していると姉の物である防空頭巾とアルマイトのお弁当箱が出てきました。弁当箱の中のご飯はもちろん焦げてカチカチとなっていて、乗せていた梅干しの穴が開いていました。そして、その周りにあった骨を姉の遺骨として持ち帰り供養しました。
後でわかったことですが、姉は食事に行く為に並んでいた時に被爆し姉の後ろに並んでいたお友達はピカッと同時に伏せ気づいた時には姉の姿は何処にもなかったと話してくれました。その後どれ位経った頃か学校が始まりましたが、食料難で十六寸の缶詰が最初の配給だった事を憶えています。
原爆はもう嫌です。二度とあって欲しくない、そして、今の子供たちにも絶対に味わせたくないと強く思います。
 
聞き取り職員 田川みどり
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