原爆体験記「青空」
原爆体験記「青空」 森田マスエ
被爆地 東古河町 当時:二十三歳
被爆当時、私は二十三歳で家族と古川町に住んでいました。
私は妊娠(妊娠五ヶ月くらい)しており、二歳の長女を連れて郵便局にハガキを買いに行っていました。その時、飛行機の音がして慌てて逃げようとすると、突然ピカッと光り、周りの人の「家に入れ!」という叫び声がしました。知らない人の家に娘を連れて入ると直ぐに「ふせろー」と声があり私は娘を抱え込み伏せました。爆風と共にガラス片が飛び散り、私は横を向いて伏せていた為、右の顔面にガラスが刺さり血だらけになってしまいました。娘は泣き叫んでいましたが無事でした。私は、その辺に落ちていた汚れたタオルを拾い血を拭いながら、風頭の防空壕に急いで行きました。しかし、防空壕はいっぱいで入ることができず、防空壕の前の芋畑で草や芋つるをかぶり身を伏せてじっとしていました。飛行機が飛び交う恐怖は今でも忘れることができません。
周りが落ち着いたので、自宅に帰ることにしました。帰宅途中、全身焼けただれた男の人と会い怖くてたまりませんでした。家に着き、しばらくして主人が無事に帰ってきて本当に良かったと思い涙があふれたのを忘れることができません。幸い、私の家族は無事でした。お腹も子も流れることなく無事でした。
被爆後の生活は、食べ物もなく配給に頼っていました。米がなく、麦ばかりで満腹になることはありませんでした。お腹の子が無事に生まれるかとても心配でしたが、無事元気に生まれ安心しました。
戦争の恐怖・辛さは、言葉に表すことができません。もう二度と、戦争をしてはいけません。あの辛さ、悲しみは二度と起こってほしくないです。
聞きとり職員 中村基子