原爆体験記「青空」
原爆体験記「青空」小川内セイ
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被爆地 水の浦町 当時:17歳
当時私は、17歳で純心女学校に通っていましたが戦争の為、学徒動員として兵器工場で軍艦や飛行機の部品を作っていました。原爆が落ちて怪我はしましたが命を落とすことなく助かりました。工場や学校は全て焼けてしまい寝る所もない状態でしたが、暫くして江角校長先生が学徒動員の助かった女学生を集めて大村の兵器工場に連れて行ってもらい、そこで友達と助け合って暮らし始めました。生活していると原爆の影響で髪の毛が全部抜けてしましい、毛布が沢山あったので先生たちが毛布で帽子を作り髪の毛が生えるまで被っていました。
江角先生は私の命の恩人です。江角先生は「人の嫌がることは、私が喜んで」といつも話してくださいました。今でもその言葉が心に残っています。
私は心から平和を望み、そして祈ります。戦争はあってはならない。二度と原爆を使ってはいけません。いつまでも平和であって欲しいと心から思います。
聞き取り職員 中村基子