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本館 語り部

被爆体験記「青空」 浦川 孝子

被爆体験記 「青空」 20集
浦川孝子(当時9歳)片町(2.6km)

 私が被爆したのは、小学校の低学年頃です。だから、細かいことは覚えていません。私は当時片淵に住んでいました。原爆が落ちた日は、空襲警報が鳴ったので学校から家に逃げ帰り、とっさに台所の戸をかぶった所で、爆音を聞きました。凄い爆音で、家の便所が壊れ、衣服はみんな何処かへ飛んで行ってしまいました。その後、防空頭巾を被り、町内の防空壕へ逃げました。その時、市役所が赤々と燃えていたのが頭に残っています。片淵地区は、すぐ側の金比羅山が壁になって、比較的被害が少なかったようです。私も怪我はしなかったし、近所でも怪我の酷い人はいませんでした。しかし父と兄が、原爆の落ちた所を見に行って、「みんなゴロゴロ死んでいた。」と、話していたことを覚えています。戦争は恐いから、もうしない方がいい。平和になって欲しいと思います。私たちのように年を取ってしまったら、思うように逃げたり、身を守ったりする事も出来ません。私は、原爆だけでなく、水爆にも反対です。世界が平和になってほしい、それだけです。

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