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本館 語り部

被爆体験記「青空」 橋田 助一

被爆体験記「青空」第19集
橋田 助一(当時19歳)銭座町(1.6km)

当時私は電話関係の仕事に就いていました。8月9日、その日は銭座町で電線などを取り付ける外回りの作業でした。空襲のサイレンが解除になり、皆防空壕を出て電車も動き出したその後、あの忌まわしい原爆が投下されたのです。私の勤めていた会社には沢山の学生が動員されて一緒に働いていましが、殆どの学生が原爆の犠牲になり若い生命を奪われてしまいました。又、同僚達も亡くなり、体から力が抜けていく思いでした。被害がひどかった大橋辺りの工場や家は爆風で跡形もなくなり、出会う人達は顔中水ぶくれになって倒れ、水を求め、呻き声を上げ、まさしく生き地獄の風景でした。私自身も赤い発疹が出て一時は死を覚悟し、夢も希望もなく、唯、死の恐怖に苛まれる日々を過ごしました。あれから59年目の今、草木も生えないと言われた長崎は生まれ変わり、木々も深みを増し町並みもとてもきれいになりまし。この素晴らしい長崎が、いつまでも、いつまでも変わらない様にと願っています。私も、どうしようもない重い心を引きずり、長い長い間かかって、ようやく心が軽くなっているように感じます。これからかけがえのない人生を大切に、ホーム生活を心豊かに過ごして行きたいと思っています。これまでの涙も悲しみも全て天に届き、武器の無い平和な世界が来る事を願うばかりです。

社会福祉法人純心聖母会
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