設立の由来
恵の丘−地名の由来
長崎大学病院医師 永井隆先生が北支戦線から帰られ、純心も疎開の地をぜひ求めねばとのお勧めで、三ツ山町のこの丘を求めました。原爆の日には、この丘に工場に動員されていない純心の生徒たちを連れて、修道女たちが松脂の採集に来ていました。そこに爆風でバラバラになった動員学徒の名簿が降ってきましたので、工場がやられたことに気づき、みな丘を降ってきて傷ついた動員学徒や校舎の下敷きになった人々を救い出し世話してくださったのです。 この丘がなかったら純心は復興しなかったでしょう。それでこの丘を今は「恵の丘」と名付けています。 (シスター江角の談話より)
「江角ヤス学園長先生追慕の記」より
先生の戦後35年 カトリック司祭 宮川 (2009-01-10 ・ 412KB) |