被爆体験記「青空」 深堀 イヨ
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深堀イヨ (当時22歳) 茂里町1.2km
「もう二度と」
私は22歳の時、幸町の組み立て工場で働いている時に被爆しました。その時は待機命令が出ており、逃げる暇もなく「パン」という大きな光がおきたと同時に私はその場に倒れていました。意識がなく倒れた私を、仕事場の人が防空豪に連れて行ってくれました。私は瓦礫の下敷きになり、やけどはしませんでしたが、背中が黒くなり痛い思いをしました。一緒に働いていた人は家に帰った後、髪が抜けて亡くなったと聞きました。
稲佐の家までの帰り道、あたりには人の死体や馬の死骸がゴロゴロと転がっていました。裸足で歩いていると、「死んでもよかけん、水ば飲ませて」と言われ「後からね」としか言えませんでした。
家族は私がもう帰ってこないと思っていたようで、夜の7時ごろ家に帰ると「生きとったとか」と喜んでくれました。家は焼けてなくなっていたので、二晩畑の隅の石垣の下で布団を敷いて寝ました。
家に帰る途中、「水をくれ、水をくれ」と言う人達がかわいそうでなりませんでした。あの頃の事は思い出したくありません。このつらさはその時にいないと分からないと思います。もう二度とあのような事は起きてほしくありません。(聞き取り:片山)