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本館 語り部

被爆体験記「青空」 飯田 コトヱ

「戦争は嫌、平和が一番」
飯田コトヱ(当時:27歳) 滑石(3.5km)

 戦時中、滑石にある夫の両親の家に、子ども2人とお世話になっていました。4世帯もの大家族だったので、トイレに行く縁側が私たちの寝る場所でした。原爆が落ちた時、私は流しに義母と立っていました。すると、「ぱちっ」と雷にしてはものすごい光が走りました。私は、義母に「かみなり!」と言い終わったと同時に、強い風が吹き、ガラガラと器が落ちてきました。こういう時は床に伏せるように言われていた為、みんな床に伏せました。私の子どもは、いとこの子どもと一緒におり、夫の兄の子どもが私の子ども達をみんな階段の下に逃げさせていました。その後、私の子どもが最後に家を出た後すぐに、爆風で家が壊れてしまいました。みんな逃げられた為、無事でした。数日後、近所から「痛いよー」という声が聞こえていましたが、2〜3日すると静かになりました。後で聞くと、亡くなったそうです。8月14日に「アメリカ兵が来るから、女・子どもは山に逃げろ」といわれ、1日だけ滑石の山に逃げました。山から帰ってくると、爆心地付近で被爆した義弟の嫁がなくなっていました。ビルマに行っていた弟もとうとう帰ってきませんでした。今私は、ホームの旅行に行くことをとても楽しみにしています。残りの人生を健康で楽しく生きたいと思っています。今の若い人達に、「親孝行をしなさい」「子どもを大切に育てなさい」ということを一番に言いたいです。核兵器は作らないでほしいです。戦争は嫌、平和が一番です。(聞き取り:山口めぐみ)

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