被爆体験記「青空」 川添 春夫
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川添 春夫(当時10歳) 長与村本川内郷8km
当時私は、小学4年生でした。長与の本川内に住んでおり、学校に通っていましたが、学校に行く途中で空襲警報が鳴り隠れるという日々でした。毎日のようにアメリカ兵の飛行機が飛びまわっており、勉強どころではありませんでした。
原爆が投下された8月9日、暑い日で家の木の下で涼んでいました。急に「ビカッ」と稲光のような音がし、ものすごい爆風が吹き飛んできました。空を見ると、煙に炎が混じって空高く上っていました。家の中に入ると爆風で畳が裏返り、ガラスは割れ、障子は破れ、めちゃくちゃな状態になっていました。家にあった掛け時計が、11時2分を指し、止まっていたのが思い出されます。幸い、私や家族に怪我はありませんでした。
被爆後4〜5日して、被爆地付近に出かけました。鉄でできた線路が曲がっており、熱は相当のものだったろうと思います。その熱で人間はどうなったのか、想像するだけで恐ろしいものです。建物は焼けたり崩れたりして、元の姿がわからないほど様子が変わっていました。
戦争や原爆を体験したからこそ、戦争反対・核兵器反対とはっきり言えます。人を殺したり殺されたりする戦争はあってはならないことです。国民一人ひとりがしっかりとした考えを持ち、気持ちを一つにして平和な世の中になってほしいと思います。罪のない人たちを殺した戦争が今後起きないように、核のない平和な世の中を願います。(聞き取り:山口めぐみ)