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原爆体験記「青空」

原爆体験記「青空」濵口キク

被爆地 家野町 当時:13歳
 
当時私は13歳で、あの日は畑仕事をしていましたが突然ピカッと空が光り、ドーンという音と共に爆風が来ました。家に帰ろうと思いましたが、仕事を止めて帰ると両親から怒られるのが怖くて帰りませんでした。それでも怖くて家に帰ると、両親に「なんで直ぐに帰って来なかったのか、長崎の空を見てみろ、ろくな爆弾じゃなかったんだぞ」と怒られました。家族は幸いなことに全員無事で私も怪我などはありませんでしたが、学校の同級生は殆ど亡くなり、生き残った人達も5~6年で亡くなりました。
被爆後はシスター達の安否を確かめに純心学校を見に行きました。そこで、生き残った方たちと家野町に小屋を建て、皆で助け合いながら生活をしました。少しでもシスター達の助けになればと思い、食料の確保で朝早くに家を出て1日がかりで野菜を運びました。学校の周りは焼け野原で灰と死体の中を歩いたのを覚えています。私はまだ幼く瓦礫や鉄骨の中を歩くのは怖くて大橋より先には行けませんでした。シスター達の背中を見送る事しかできませんでした。アメリカ兵が来た時には、十字を切ってカトリック信者という事を一生懸命伝えると、兵はそれを見て何もせずに帰って行きました。とても怖かったです。10月からは大村の学校に通い、大村で生活を送りました。なぜなら、私はシスターになりたかったからです。
夜に電気を点ける事さえできないあの夜は忘れられません。ただただ戦争のない世の中になって欲しい、これ以上望む事はありません。
核兵器は何で作ったのか、人間の生活にこんな物は必要ありません。なぜ人を殺す物を作るのか、人の為になる事をすればいいのに。人間の小さな欲望が大きくなって起きた事だと思います。人間はどんな関係であっても、敵対していても、お互いが愛し合い、命を一番に大切にして欲しいと思います。人間は神の似姿に作られたのですから。
 
聞き取り職員 清田泰介
社会福祉法人純心聖母会
〒852-8142
長崎市三ツ山町139番地2
TEL:095-846-0105
FAX:095-846-0135

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